発狂練習

いち大学院生の嘆きの壁

証拠その一(そして起こったこと)

証拠その一(その数日前のできごと)に書いたとおり、私がクローズドなMLで「長靴下のピッピ」について言及した2007年5月のある日の数日後、研究室に行ってみると、机の上に付箋が貼られていた。 現在も保存している、この付箋である。 2007年に研究室にいた…

証拠その一(その数日前のできこと)

2007年5月、私が問題研究室に所属し始めて間もない時期のこと。 あるメーリングリスト(当時も現在もクローズド)に、東京の住まいから、以下の投稿をした。 当時、このメーリングリストには、研究室のメールアドレスと自分のメールアドレスの両方で参加して…

今朝見た夢

山の中の別荘のような場所で、元研究室のメンバーが合宿をしていた。 その別荘には大きな窓ガラスがあった。 研究室は、申し分なく運営されているようだった。 厳父として振る舞う元指導教員に、慈母のような女性の助教がいて、厳しくも温かい雰囲気でゼミが…

今朝見た夢

私は2012年9月に、問題の大学院を単位取得退学した。半年が経過し、だんだん、記憶が薄れてきた。 もう、あの大学院での出来事と無関係に新しく人生を歩みだし、ドブに捨てたも同然の時間・エネルギー・気力・自信・お金などを少しでも取り戻せれば。 そう思…

許せない言葉

2009年12月ごろのこと。元指導教員であったZ氏が、私に 「言われたことだけやってりゃいいんだよ」 と言った。 中年の年齢に達している私が、いくら元指導教員とはいえ同年代の人間に、なぜ、そんな屈辱的な扱いを受けなくてはならないのだ。 私が「言われた…

風景が変わった

Z研究室を離れて1.5年が経過した。 私は長い間、PTSD様の症状に苦しめられていたが、8月あたりから軽減してきたのを感じた。 したかった研究がどうなるのか、奨学金という借金を背負った私の人生がこれからどうなるのかは分からない。 しかし急激に、X研究室…

予想通りの上塗り

私はZ研究室を去る時に、 「おそらくZ氏は、Z研究室を女性・障害者にとって居心地よい場所にせざるを得ないだろう」 と思った。 風俗店の「花びら回転」ではないが、男は女をどれだけでも取り替えることができる。自分にとって都合のよい女が現れるまで。男…

メモ

「そんなことはできない」 2010年2月。院生たちによるイジメに耐えかねてZ氏に相談。私はそれに先立って、next49氏に相談していた。彼は大学教員の立場から、このような場合に大学・大学教員がすべきこと、大学院生にどのような権利があり、どのように守られ…

大学院とは院生を何もかもから分断するところ

「分断したい人々」 http://d.hatena.ne.jp/before49/20110422/1303464339 のα氏は今や、私を大学から追い出したい人々の代表のようになっている。 α氏が中心になっているプロジェクトで、Z氏は重要な役割を担っている。Z氏と自分のプロジェクトに傷をつけな…

分断したい人々

私がD1だった2007年度、Z研究室にはもう一人の教員、N教授がいた。当時はN教授とZ准教授の二人体制だった。N教授は2008年度末に定年退職した。2008年度半ばごろから、Z(准)教授はN教授を実は煙たがっていたらしいということが、だんだん判明してゆく。私が…

消えてほしいと望まれていた

D1だった2008年3月のこと。 D1の一年間、Z研究室メンバーと私の関係は決して悪くなかった。 D2以後、振り返ってみてもよく理解出来ないなりゆきで、Z研究室メンバーとの関係が悪くなっていった。 私の方では、対応を変えた覚えはない。 D2の時にM1で入ってき…

攻撃的な表情?

12月9日11:00ごろのこと。私は大学に向かう電車に乗っていた。 すると同じ車両に、二十代前半と思われる若い女性が乗ってきた。私はその女性の顔を見たことがあった。 女性は私の顔を見て、恐怖にひきつったような表情を浮かべた。 私は女性に対して、ごくふ…

「人材育成」

10日ほど前、Z研究室のカギを、研究科長に返還した。 これでZ氏ともZ研究室とも縁が切れてすっきり、ということになればいいのだが、そうはゆかない。Z氏のシンパから何だかだと攻撃されることが相変わらずであったりする。 Z氏は、大学にとって重要なプロジ…

既に消されていた自分

数日前、以前いた(現在も正式には所属している)Z研究室に置いてある私物を全部片付けた。私の身体障害を考慮して作られたことになっている私の席は、ゴミ置き場となっていた。数年前に卒業した先輩方への封書や学会誌といったものを置く場所にされていたの…

既に消された自分

以前いたZ研究室に置いてある私物を引き上げに行った。私の所属はまだ正式にはZ研究室である。2009年末ごろから、 「自分は追い出されようとしているんだな」 と感じていた。 指導教員のZ氏は、形式的にはきちんと指導しているふりをしていたけれども、指導…

「疲れたよ」

今年の3月。 指導教員Z氏が、私の横を通りすがりに、私にだけ聞こえる声で「疲れたよ」と言った。研究室メンバーの全員が集まって引継ぎなどを行う機会に、その終わり際か別れ際のことだったと思う。 大学院の指導教員が受け持ちの学生や院生に「疲れたよ」…

ゴミに挨拶されて逃げる男たち

大学でのイベントでX様に出会ったときのこと。 http://d.hatena.ne.jp/before49/20100813/1281690499X様は私に気づいて、目を丸くして少し怯えたような表情をした。私は大きな声で「こんにちは」と挨拶した。X様は「あ、お、う」などと言いながら去っていっ…

アリバイを作ろうとしているんですね、わかります

大学で、専門に関するイベントが開催された。私も顔を出した。 会場にはX様がいた。ごく普通の、さわやかな若者として振舞っていた。研究室で私の知るX様からは信じられないほどの好青年ぶりだった。 その近くには、指導教員のZ氏がいた。Z氏の後ろには20代…

ホコリの粒のような安全を集める

昨日、新しい研究室で研究環境のセットアップをした。 そんなに極端な理不尽はない、ということを、少しずつ実感していった。だんだん、恐怖が薄れてきた。

復讐のチャンスだったかもしれない

昨日、以前の研究室に行った。置いておいた私物を取りにいくためである。 研究室には誰もいなかった。夏休みとはいえ、平日の昼間に珍しいことだ。研究室の電話が鳴った。出ると、別の大学(本来の所属)にいるX様だった。X様は私に 「○○さんですか? 他にだ…

気持ちの悪さ

7月4日のエントリーに書いた「7/1に研究室でM1のお兄さんと会話した」時、なんとなく違和感を感じた。 相手は私に対して「○研究室にいた方ですか」というふうに話を向けた。なにごともないように会話をしていたのだが、相手の言葉のはしばしに、 「○研究室で…

研究室異動

7/1、教員たちとの話し合いの結果、 現在の副指導教員→主指導教員 これまでの主指導教員が指導していた部分→別の教員が副指導教員として担当 という形で、私はこれまでの研究テーマをほとんどそのまま持って異動することになった。 副指導教員のK先生が、研…

わざとらしい会話

2009年12月ごろのこと。X様と指導教員が私の近くに立った。指導教員はX様に 「東大に帰るんだから、派遣終了報告書を出さないとね」 と言った。X様の本来の所属は東大だが、大人の事情でその研究室に預けられていた。X様は 「はい」 とか返事していただろう…

万引きしなくちゃ

研究はしたい、学問は大切なものだと思うし自分にはこの道しかないと思 う。だけど学校というところはあまり好きになれない。自分はどう考えて も退学させられようとしているんだと思う。そんなことを考えながらスーパーの棚を眺めていたら、万引きしなくて…

「S先生ってフェアな人?」

年明けごろ、研究室でのイジメに耐えかねて、主に生活面でお世話になっ ている別の部署の先生に相談したところ、 「S先生ってフェアな人?」 と聞かれたので、 「先生自身はフェアですけど、学生には伝わりません」 と答えた。私自身は 「うさんくさくて気持…

指差された日

指導教員は、この二月のある日、私に 「あなたは今まではいわばお客さんだったけど」 と言った。私は 「これからはメンバーシップを求める」 なのか 「これから追い出してやる」 なのか、どちらだろうかと思った。三月、引継ぎのためにメンバーが集まった。…

モヤのような人々

数日前の、障害学生たちの集まる会でのこと。そこには以前から私を知っ ている学生も教職員もいた。私に話しかけたり、ふつうに知った顔にむけ るような視線を向ける人は、以前から知っていた女子学生一人だけだっ た。他の人々には、私は無視されていると感…

研究室で最初で最後の業者さんとの接触

4月終わりから、私が研究室で研究をするということを前提とした初めての機器購入の話を進めていた。指導教員が許可したから進めた、というだけの話。業者さんとやりとりしているうちに、業者さんは 「予算は先生の予算ですか、あなたの予算ですか」 と不思議…

研究室を訪れた最後の日(たぶん)とその後

6月23日、研究室に行き、捨てられては困る私物を持ち出した。研究室には誰もいなかった。 私はそこで、指導教員S氏との会話ややりとりを思い出した。 今では、私が見ることのできるS氏の表情は、恐怖と猜疑心で凝り固まったものでしかない。声は、脅しをかけ…

なぜこんなことになったんだろう

研究は続けたいが、いまどきの大学の研究室とは、この種の問題が起こるに決まっている場所ではある。今後同じような目に合わないために、経緯を振り返ってみたい。 2007年4月 入学。たいへん活気がある良い雰囲気の研究室であった。メンバーたちと私の関係も…