発狂練習

いち大学院生の嘆きの壁

予想通りの上塗り

私はZ研究室を去る時に、
「おそらくZ氏は、Z研究室を女性・障害者にとって居心地よい場所にせざるを得ないだろう」
と思った。
風俗店の「花びら回転」ではないが、男は女をどれだけでも取り替えることができる。自分にとって都合のよい女が現れるまで。男性社会というのは、どこも似たり寄ったりだ。企業も大学も。
私は「均等法」直後に電機メーカに入社し、男性社会で女性がどのような目に遭うか、「生物学的に殺される」を除いて全部経験したという自覚がある。私にセクハラ・パワハラを尽くして追い出した後、元上司たちはそこに扱いやすそうな女性を受け入れ、それなりに職業上の成功をさせた様子である。そうすれば、
「悪いのはあの女、自分たちは問題がない」
という状況証拠を作れるからである。
Z氏も同じようにするのだろう、と私は思った。であれば、Z研究室は、今後当分の間、女性や障害者にとって悪くない場所になるかもしれない。そして私は、女性の障害者として、そのことに正面から異議を申し立てるわけにはゆかない。マイノリティが少しでもマイノリティでなくなるためには、数が増えなくてはならない。増えた人、活躍しやすくなった人は、私を軽蔑することだろう。自分は状況に恵まれたから成功したわけじゃない。成功しなかったあの人達は、本人たちが悪かったのだ。そう考えないと、本人が辛いだろう。こうして、マイノリティは、マイノリティでなくなろうとして、分断されてゆく。そんな歴史の流れ、生まれてから40年以上で、腐るほど見てきた。今回もそうなるのだろう。そうしかなりようがない。

先日、久々に、Z研究室のメンバーリストを見た。若い女性の助教が迎えられていた。その助教は、この時の女性であるようだが、確信は持てない。
Z氏は、研究室運営がうまくゆかない理由として、教員が少なすぎることを挙げていた。それは事実であろうと私にも思われた。
諸悪の根源である私を追い出し、教員を増やせば、Z氏はZ研究室を問題なく運営できるはずである。
Z氏は常に正しくて、Z研究室のメンバーは、私を「あれ」「それ」と呼んだことを含めて正しいのであろう。そのように、Z氏が状況証拠を作っていくであろうからである。
来年あたり、Z研究室には障害者が迎え入れられるのだろうか。私と違って、優秀で協調性があることにされるのであろうか。従って、私の問題は、私が個人的に悪く、Z氏にもZ研究室の私以外のメンバーにも問題がないということにされるのであろうか。
この成り行きは、私にとっては最悪の成り行きであるが、最もありがちな、他の成り行きになりえないパターンである。
私は2009年の6月ごろ、Z氏が私に「TAをやらないか」という話を振ってきたときに、この、自分にとって最悪の成り行きを予測していた。
そして、対策を立て、実行し始めた。