発狂練習

いち大学院生の嘆きの壁

「疲れたよ」

今年の3月。
指導教員Z氏が、私の横を通りすがりに、私にだけ聞こえる声で「疲れたよ」と言った。研究室メンバーの全員が集まって引継ぎなどを行う機会に、その終わり際か別れ際のことだったと思う。
大学院の指導教員が受け持ちの学生や院生に「疲れたよ」と言う場合、本当に疲労しているので「疲れたよ」と言っているのかもしれない。「お前を追い出すから覚悟しておけ」と言っているのかもしれない。「疲れたよ」だけでは、日常会話なのか死刑宣告なのかは判断できない。
私は「疲れたよ」に反応しなかった。真意が分からず、どのように反応するのが正解なのかが分からなかったからである。自分自身は「ああこれは死刑宣告だな」と思っていたのだが、「ただの日常会話であった」という可能性に賭けたかった、ということもあった。

4月以後のZ氏と研究室メンバーの行動は、「ただの日常会話」の可能性を完璧に打ち砕いた。私は、Z氏が悪意や敵意を持っていたという前提に立って、研究室配属以後のすべてを振り返ってみた。すっきりした。Z氏の言動に、私から見て意味不明な点がなくなったからだ。