発狂練習

いち大学院生の嘆きの壁

証拠その一(そして起こったこと)

証拠その一(その数日前のできごと)に書いたとおり、私がクローズドなMLで「長靴下のピッピ」について言及した2007年5月のある日の数日後、研究室に行ってみると、机の上に付箋が貼られていた。
現在も保存している、この付箋である。

2007年に研究室にいた人々のうち誰の筆跡であるかは、調べてみれば判明するであろう。
そして明確なのは、この付箋の文字の主が誰であるかは別として、研究室のメールサーバを通したメールのやり取りを、研究室の何者かが傍受していたことである。
メールサーバの管理を任せられていたSやN(当時B4)かもしれない。
研究室を仕切っていたU(当時D2)かもしれない。
付箋の文字の主は彼らかもしれないし、彼らから情報を得たPIかもしれない。
あるいは研究科? 大学? 研究室のネットワークシステムは、大学および研究科ネットワークシステムの中にあった。でも、それは考えにくい。

研究室のメールサーバやメーリングリストシステムを利用した、あるいは利用しないことによる嫌がらせは、その後、2010年4月2日(実質的にはこの日)に私が研究室を追われるまで続くことになった。