発狂練習

いち大学院生の嘆きの壁

研究室を訪れた最後の日(たぶん)とその後

6月23日、研究室に行き、捨てられては困る私物を持ち出した。研究室には誰もいなかった。
私はそこで、指導教員S氏との会話ややりとりを思い出した。
今では、私が見ることのできるS氏の表情は、恐怖と猜疑心で凝り固まったものでしかない。声は、脅しをかけるヤクザのようである。今の私はS氏が何かを言うと、恐怖で全身が縮み上がってしまう。
そんなことになってしまった背景は、たくさんある。S氏と自分との間にも、いわゆる「大人の事情」がありすぎたのだ。


しかし私は、研究室でS氏の指導を受ける時間を大切にしていた。福祉・医療・介護にぼろぼろにされ、その様子を見て敵に回る相手が次から次に増える日々が続き、私は生き続ける意欲もなくしそうになっていた。S氏が研究の話のふりをして「どうすれば少しでもマシになるか」をアドバイスしてくれて、笑顔を見せてくれた。それだけで私は「もう少し」「もう少し」と頑張れたのだった。
研究室で最後(たぶん)の日、私が思い出したのは、S氏の笑顔と私を励ましてくれた声だった。


研究室を出て自宅に帰った後の数日、私は悪夢と白昼夢にうなされつづけている。この半年ほどのS氏の顔と声が、そこにいないはずなのに感じられる。フラッシュバックのように思い出されて辛い。たぶん、これは向こう数年は続くと思う。研究をやめてもやめなくても、また同じような目に遭っても遭わなくても。