気持ちの悪さ
7月4日のエントリーに書いた「7/1に研究室でM1のお兄さんと会話した」時、なんとなく違和感を感じた。
相手は私に対して「○研究室にいた方ですか」というふうに話を向けた。なにごともないように会話をしていたのだが、相手の言葉のはしばしに、
「○研究室で私に関して周囲の学生・院生が言いそうな情報が伝わっているようだ」
と思った。相手がなにごともないかのように向けてくる会話のはしばしに、
「私は○○という傾向のある人間で、××のようにあしらっておけばよい」
という知見が感じられた。それは、以前の研究室のメンバーがいかにも言いふらしそうなことであった。相手が話題にしたメンバーは4人いた。そのうち、その研究室に現在も残っているのはX様一人である。私は、そのM1のお兄さんと会話したのは初めてであった。おそらく、相手は私に会う以前の噂話によって偏見形成を始めているのである。
放っておけば時間の問題で、相手はそのような内容に関して「まさにそれ」の証拠らしきものを集めて偏見形成を行い、私はまた同じような目に遭うんじゃないか、と怖くなった。研究室に、いかにイジメが起こりいくい雰囲気が醸成されていたとしても、起こる時には起こってしまう。起こってしまったら、ふだん「イジメが起こりにくい(起こった実績がない)」ということが、やられた側の「やられた方が悪い」の証拠らしきものに使われてしまう。その可能性を考えて恐怖でいっぱいになった。
それから、以前の研究室で自分がおかしな扱いを受けるようになったきっかけに思い当たった。それは2008年の6月ごろのことだった。指導教員(当時)は、
「仕事に時間をかけすぎるからいけない」
と言ったのだった。それ以前、私はむしろ丁重に扱われていたし、おかしな扱いを受けてはいなかった。研究が遅れていることについて
「仕事に時間をかけすぎるからいけない」
と言われたのであったら、それは私には大いに納得のゆくことであった。私は、言外の可能性に関しては考えないことにして、言葉に言葉どおりに反応することにした。その中には
「(大学とはあまり関係のない)政治的な状況の変化があって、自分はあなたを攻撃しなくてはならなくなった、その口実になりうる研究の遅れを発生させたあなたが悪い」
もあった。それは大いに思い当たるものであったが、その可能性について
「先生の真意は……でしょうか?」
と聞き返すわけにはゆかなかった。時間が経過して、そのような出来事が積み上がってゆき、私は
「どうも、私が最も考えたくない可能性が事実であったらしい」
と認識せざるを得なくなった。そう認識したら、私が感じていた気持ち悪さは消えた。指導教員(当時)の真意を測りかねる言動の数々に説明がついたからである。4月に私が研究室に総攻撃されるようになった以後に、私が「指導教員(当時)は悪意ではない」と考え続けていたら、それは私が愚か者だということである。
恐怖を実感したのは、その翌々日あたりからである。あまりにも恐ろしくて、研究が続けられるとは思えなくなってきた。
相手の応答に関して
「この大学では、こういう場合にこう応答することがお約束になっていて」
という可能性は考えたのだけど、
「それにしても何だか不気味だ」
と感じることが多かった。
こういう時、私は何を言っても(言わなくても)、しても(しなくても)、たぶん追い詰められる成り行きになる。相手(たち)は永遠に
「自分は敵意を持っているわけではない」
「あなたが悪い」
と主張するだろう。誰が悪いかといったら、
「そういう相手のいる場所に入り込む自分が悪い」
としか言いようがない。
接触したら、どういう接触のしかたをしても
「だから悪い」
ということになるし、接触しなかったら
「接触しないから悪い」
ということになる。どうすればいいのか分からない。