発狂練習

いち大学院生の嘆きの壁

2011-01-01から1年間の記事一覧

許せない言葉

2009年12月ごろのこと。元指導教員であったZ氏が、私に 「言われたことだけやってりゃいいんだよ」 と言った。 中年の年齢に達している私が、いくら元指導教員とはいえ同年代の人間に、なぜ、そんな屈辱的な扱いを受けなくてはならないのだ。 私が「言われた…

風景が変わった

Z研究室を離れて1.5年が経過した。 私は長い間、PTSD様の症状に苦しめられていたが、8月あたりから軽減してきたのを感じた。 したかった研究がどうなるのか、奨学金という借金を背負った私の人生がこれからどうなるのかは分からない。 しかし急激に、X研究室…

予想通りの上塗り

私はZ研究室を去る時に、 「おそらくZ氏は、Z研究室を女性・障害者にとって居心地よい場所にせざるを得ないだろう」 と思った。 風俗店の「花びら回転」ではないが、男は女をどれだけでも取り替えることができる。自分にとって都合のよい女が現れるまで。男…

メモ

「そんなことはできない」 2010年2月。院生たちによるイジメに耐えかねてZ氏に相談。私はそれに先立って、next49氏に相談していた。彼は大学教員の立場から、このような場合に大学・大学教員がすべきこと、大学院生にどのような権利があり、どのように守られ…

大学院とは院生を何もかもから分断するところ

「分断したい人々」 http://d.hatena.ne.jp/before49/20110422/1303464339 のα氏は今や、私を大学から追い出したい人々の代表のようになっている。 α氏が中心になっているプロジェクトで、Z氏は重要な役割を担っている。Z氏と自分のプロジェクトに傷をつけな…

分断したい人々

私がD1だった2007年度、Z研究室にはもう一人の教員、N教授がいた。当時はN教授とZ准教授の二人体制だった。N教授は2008年度末に定年退職した。2008年度半ばごろから、Z(准)教授はN教授を実は煙たがっていたらしいということが、だんだん判明してゆく。私が…

消えてほしいと望まれていた

D1だった2008年3月のこと。 D1の一年間、Z研究室メンバーと私の関係は決して悪くなかった。 D2以後、振り返ってみてもよく理解出来ないなりゆきで、Z研究室メンバーとの関係が悪くなっていった。 私の方では、対応を変えた覚えはない。 D2の時にM1で入ってき…