メモ
- 「そんなことはできない」
2010年2月。院生たちによるイジメに耐えかねてZ氏に相談。私はそれに先立って、next49氏に相談していた。彼は大学教員の立場から、このような場合に大学・大学教員がすべきこと、大学院生にどのような権利があり、どのように守られるべきであるかについて教えてくれた。
私は他に院生のいるときに研究室に入りたくなかった。next49氏によれば、そのように安全に研究を行う権利を保証することが研究室を運営する教員の義務の一部であった。しかしZ氏は「そんなことはできない」と言ったのみであった。
next49氏には他にもいくつかのことを相談した。だんだん、反応は「うちの大学では考えられない、呆れた」といった感じに変わっていった。
大学院とは院生を何もかもから分断するところ
「分断したい人々」
http://d.hatena.ne.jp/before49/20110422/1303464339
のα氏は今や、私を大学から追い出したい人々の代表のようになっている。
α氏が中心になっているプロジェクトで、Z氏は重要な役割を担っている。Z氏と自分のプロジェクトに傷をつけないために、α氏は私を叩き潰すしかないのである。
α氏には昨年2回会った。この3月にはメールで呼び出されたが応じなかった。Z氏が私に接触しなくなったので、α氏はZ氏に代わって私に退学勧奨その他を行っていたというわけであった。
分断したい人々
私がD1だった2007年度、Z研究室にはもう一人の教員、N教授がいた。当時はN教授とZ准教授の二人体制だった。N教授は2008年度末に定年退職した。2008年度半ばごろから、Z(准)教授はN教授を実は煙たがっていたらしいということが、だんだん判明してゆく。
私がその大学院に行った理由の一つは、当時教員であったα氏と面識があったということだった。知った人がいるし、それほどおかしな大学でもなさそうだし、入れそうだったし、という消極的な理由での選択だった。α氏はいったんその大学院を離れたが、現在はまた教員である。
N教授に指導されている院生たちは、私がZ氏に指導されていて、そのバックにα氏がいることを知っていた。そして、教員が研究室にいないときに、私に聞こえるように、α氏の悪口を言った。授業がへたくそだとか。α氏が教育に熱意を燃やすタイプではないこと、α氏がそこで教員をやるにあたって期待されたのは教育職としての能力ではなかったであろうということを私は知っていた。だから、彼らの噂話の内容は意外でもなんでもなかった。しかし、私に聞かせようとしてそういう噂話をする彼らは、いったい何を考えているんだろうと思った。私に聞こえるように言えばα氏に伝えてもらえて、α氏の講義下手が改善されるであろう、とでも期待したのであろうか?
たぶんそんなことはない。彼らはただ、安全な場所で誰かの悪口を言いたかっただけなのだろう。ただ悪口を言うだけなら自分たちだけでもできる。でも、そのことによって、誰かの気分を悪くしたかったのであろう。私の前でα氏の悪口を言えば、私がいやな気分になるであろうということを、彼らは期待していたのであろう。
彼らはα氏の悪口を言いながら、私の方をちらりちらりと見ていた。私は彼らの視線にまったく気づかないふりをしていた。彼らの表情が少しずつ険悪になり、声が少しずつ大きくなっていった。
私は彼らの反感を買おうとしたわけではない。ただ、彼らの目的である
「人の悪口を言い、そのことで立場の比較的弱い誰かに不愉快な思いをさせる」
の実現に協力しなかっただけだ。
消えてほしいと望まれていた
D1だった2008年3月のこと。
D1の一年間、Z研究室メンバーと私の関係は決して悪くなかった。
D2以後、振り返ってみてもよく理解出来ないなりゆきで、Z研究室メンバーとの関係が悪くなっていった。
私の方では、対応を変えた覚えはない。
D2の時にM1で入ってきた院生(このブログでは「X様」)が私を目の敵にし、私が研究室で他のメンバーと会話をしていると、割り込んできて私に会話をさせなかったり、相手に対して攻撃を始めたりした。X様はあくまで、「研究の進捗を訊ねて進度を気にする」というような名目で、割り込みや攻撃を行っていた。口調や言葉遣いは、因縁をつけるチンピラのようだった。ちなみにX様の学籍は、当時も現在も、日本で最も入学の難しい大学にある。
いつも研究室にいるわけではない私には、他のメンバーのように多数派工作をしたり、グロい噂話を流して情報工作をすることはできない。できるからといって、やりたいとは思わないけれども、そういった攻撃に対して出来ることは非常に少ない。自分の身を守ることも難しいような状況だったので、私はほとんど緘黙するしかなかった。
Z研究室を離れて一年が経過した。私には、過去のできごとを振り返る余裕が少しずつできてきた。
D1の時、当時のメンバーの中で仲良くしていた相手の一人に、F君というM2の学生がいた。たいへん充実した修士論文を書いた。私は意見を求められて答えたことが何回かあった。当時は、他の学生や院生とも、そんなふうに会話することができた。
F君は、謝辞に私の名前を挙げた。それは儀礼として通常行われるであろう範囲であった。F君は対面でわざわざ私に礼を述べてくれた。そして、私に修士論文のPDFをくれた。大学への提出は既に行われていたと思う。
直後、F君からメールが来た。
「Z先生から、あの修士論文は部外秘にしてほしいと言われた、破棄して欲しい」
ということであった。私も内容を知っているのだが、部外秘にすべき内容は特に含まれていなかった。そもそも、部外秘にする必要があるのであれば、研究室外部に提出する修士論文には書けないはずだ。私はF君の修士論文をどこかに流すつもりはなかったが、釈然としなかった。
今から振り返ると、Z氏はその時、なんとしても私を研究室からも大学からも消してしまわなくてはならないと考えていたのであろう。
だから、私への謝辞が書いてある修士論文を破棄しなくてはならなかったのだろう。
私の方は、研究室から消えてもかまわないとは考えていた。私の目的は研究室に所属することではなく、研究をして学位を取得することだった。
大学から消えることに関しても、そんなに大きな問題ではないと考えていた。よくある大学院生の退学の件数が「1」増えるだけである。それは私にとっては、不名誉の烙印というわけではない。大学にとっても、あまりにもよくあることなので、面目が潰れるなどということにはならない。
しかし、「自分が研究室から消える」が「自分が大学から消える」につながることは避けたいと思っていた。大学から消えたくなかったからではない。「自分が大学から消える」は次に、「自分が社会から消える」につながるなりゆきになるのではないかと恐れたからだ。
私は
「それまでのキャリアを無にすることなく、なるべく生かし、社会から消えずに生き続けたい」
という、人として当然といえば当然の望みを抱き続けていた。しかしZ氏の方は、私を研究室からも大学からも社会からも消したかったようだ。
2008年5月ごろ、大学と遠く離れた場所にあった私の住居兼用の仕事場で、ボランティア名目で仕事を手伝っていた男性○氏からの、大学または研究室の指示の感じられる攻撃が始まった。それはエスカレートする一方だった。私は防御も反撃もした。相手の攻撃はエスカレートする一方だった。
そして2009年3月のある日、突然止まり、相手は私への接近をまったく行わなくなった。その前日、私は古い友人N氏に携帯電話(当時はau)で、この件に関するグチをはじめて話した。そして、
「○氏にヘンなことをさせないように、明日、一緒にいて牽制してほしい」
と頼んだのだった。N氏は応じてくれた。
翌日、私の仕事場には、先にN氏がやってきた。ついで○氏がやってきた。その最初から、○氏は私の機嫌を取る目的と思われる不自然な行動をしていた。私は、前日の携帯電話での会話が○氏に漏れた可能性を考えた。そして、大学の少なくとも一部の関与を疑った。
これだけであれば
「いや○氏に話を漏らしたのはN氏かもしれないじゃないか」
という反論がありうる。しかし、その直前の大学のカウンセラーとの会話から、私は大学の関与を確信していた。
攻撃的な表情?
12月9日11:00ごろのこと。私は大学に向かう電車に乗っていた。
すると同じ車両に、二十代前半と思われる若い女性が乗ってきた。私はその女性の顔を見たことがあった。
女性は私の顔を見て、恐怖にひきつったような表情を浮かべた。
私は女性に対して、ごくふつうに会釈した。いつも顔見知りにそうするように。特に険悪な表情や攻撃的な表情を浮かべているということはなかったと思う。
女性は、さらに当惑と恐怖を顔に浮かべて、空いていた席に着席した。私の方を見ないようにしていた。
電車は発車した。女性は途中の駅で下車した。その駅は、この研究所の最寄り駅であった。
この研究所のいくつかの教員に、元指導教員のZ氏は深い関係を持っている。
私はその女性が何者であるか知らないが、大学院修士課程の院生くらいの感じを受ける。Z氏やX様(Z氏の研究室で私に執拗かつ悪質なイジメを行った博士課程の院生)と親しそうに会話しているのを一度見た。それ以上の情報は持っていない。もちろん、会話したことは一度もない。
しかし、その女性は、私について何かを知っているようであった。
このような時、Z氏はたぶん
「あなたが攻撃的で挑発的な表情や態度をしているから、相手がそういう反応をするのだ」
と言うだろう。過去三年間、ずっとそうであったように。
私は住まいのあちらこちらに鏡を置き、暇さえあれば、攻撃的や挑発的でない表情や態度を訓練していた。Z氏の研究室の中での状況は、少しも改善しなかった。
Z研究室を追い出されたしばらく後、私は住まいから、最低限必要な鏡以外の鏡を全部外してしまった。その後、私は一度も誰かに「攻撃的」「挑発的」と非難されていない。
たぶん、この女性は、私について、Z氏やX様から何か聞かされているのであろう。Z氏もX様も私の敵なので、私について好意的なことを他の誰かに語ることはありえないであろう。
ありえないとは思うが、Z氏に
「彼女に何かしたんだろう」
と責められることがあったら、
「彼女がおかしいんじゃないですか?」
と答えることにしよう。
私はZ氏とZ氏の研究室のメンバーたちに狂わされようとしていたのだ。
私には、彼らが同じ目に遭ったとしても同情しない権利があると思う。
「人材育成」
10日ほど前、Z研究室のカギを、研究科長に返還した。
これでZ氏ともZ研究室とも縁が切れてすっきり、ということになればいいのだが、そうはゆかない。Z氏のシンパから何だかだと攻撃されることが相変わらずであったりする。
Z氏は、大学にとって重要なプロジェクトに参加しており、そこで重要な役割を果たしている。そのZ氏に傷がつくようなことは許せない、と考える人がたくさんいるのである。そりゃそうでしょう。
でも、私だって傷つけられたくない。小さな名誉、小さな誇りを奪われたくない。そのような動きには全力で抵抗する。今までもずっとそうだった。これからも。これからは、Z氏を敵に回してしまった分、今まで以上に抵抗しなくてはならないであろう。敵は大きすぎる。国立大学を中心とする組織と、大学教員の地位にあるたくさんの人々。勝てるわけはない。
私は「生き延びない」という前提で、今後の人生計画を考えた。5年間くらい、貯金を食いつぶしながら生きることは可能そうである。その5年間に、Z氏との間で何があり、その間、誰がどのように私を攻撃したかを記録して、明るみにして、それが終わるころに死のうと思った。なにしろそれは生活圏・医療・福祉・血縁者・自称ボランティアなどなど、広い範囲の多数の人々によって行われる総攻撃であった。
「いつ、誰が、何を、どのように」
と
「その時期、その背景には何があったと思われるか」
を書くだけでも、かなり大変な作業量になる。それを日英二ヵ国語で書こうと思う。
さてZ氏は、大学にとって重要なプロジェクトで、「人材育成」を担当しており、その部門のトップにある。
人材育成。
人材育成。
人材育成。
……私は爆笑をこらえられなくなった。
自分の研究室を崩壊させてしまっている人の人材育成。
大学にとって重要なプロジェクトに関わっているZ氏のシンパは、いかにZ氏が忙しいかを説明するのに、
「半年間、研究室でゼミもやれない」
というような話をする。Z氏に対して好意的に。指導教員が半年間ゼミを行えない研究室運営が異常であるとは考えない。
私は安堵した。
このプロジェクトは、おそらく「人材育成」という面では大した成功を収めないだろう。
関係者によって「素晴らしい成功を収めた」と言われることはあるとしても。
私は、自分が予定した自分の人生の残り5年間、このプロジェクトを冷ややかに見守ろうと決意した。
既に消されていた自分
数日前、以前いた(現在も正式には所属している)Z研究室に置いてある私物を全部片付けた。
私の身体障害を考慮して作られたことになっている私の席は、ゴミ置き場となっていた。数年前に卒業した先輩方への封書や学会誌といったものを置く場所にされていたのである。とりあえず、私はそれらの「ゴミ」には手を触れず、「ゴミ」が置かれている自席の状況を撮影した。そして、自分の私物だけを回収した。
研究室に買ってもらっているものは、全部、返還しなくてはならない。私が過去三年間の研究室生活で購入してもらったものは、数冊の書籍と分子模型だった。
書籍は、「研究室の書籍を持ち出してどうのこうの」というような揉め事に巻き込まれたくなかったので、同じものを自分で購入した。研究室で購入してもらったものは、誰がみても分かるように席に置いておいた。それは、研究室の私の席だった場所の近辺には見当たらなかった。私が持ち出していない以上、行方不明であることが問題になったら研究室の(現在の)メンバーが責められることになるのだが、どうなろうが知ったことか(研究室の(現在の)メンバーが意図的に行方不明にした可能性はあると思うが)。分子模型は持ち出せるようなものではない。
研究室の自席(だった場所)に残されていた書籍は、研究室のメンバーから見たら、私の私物に見えるようなものばかりだったようだ。全部、研究室の書籍なのだが。紙のカバーをかぶせた書籍が一冊あった。それは、この研究室の所有物だった。私はその書籍をどこに戻せばよいかわからないので、カバーを剥いだ状態で(元)自分の席に置いておいた。
これら全てが、(元)指導教員Z氏がいかに私を追い出したくてたまらないか、という意思表示であると考えてよいであろう。しかし、それにしても「ここまでやるか?」と思う。
はっきりしているのは、私がここまで「消したい」「消えろ」と望まれている、ということだ。
では、私が何をしたのでここまで悪意を向けられなくてはならないのだろうか。
これから、気が済むまで、ゆっくりと、ただす。