発狂練習

いち大学院生の嘆きの壁

既に消された自分

以前いたZ研究室に置いてある私物を引き上げに行った。私の所属はまだ正式にはZ研究室である。

2009年末ごろから、
「自分は追い出されようとしているんだな」
と感じていた。
指導教員のZ氏は、形式的にはきちんと指導しているふりをしていたけれども、指導途中にいなくなる・他の学生と雑談をはじめる など、やる気の無さを私に見せつけていたからである。
こんな研究室にいたら学位どころではない。そのうち殺されるだろう。私はそう思ったから、いつ追い出されても困らないように、捨てられては困る私物を少しずつ持ち出していた。それは2010年2月には終了していた。

7月、研究室異動が内定した。しかし私は休学中なので、復学するまでは所属はZ研究室である。
研究室を追い出されたいきさつがいきさつなので、私はZ研究室には近寄りたくなかった。しかし、私物を置きっ放しにするわけにはゆかないし、研究室から借りているPCは返さなくてはならない。そのPCは、購入してもらったものではなくて、ゴミとして廃棄されていたものであった。私が購入を求めると、M1のKが「休学中のくせに」と指導教員Z氏の前で私を罵り、Z氏はそれをたしなめもしない。
Z氏はこのようなとき、必ず私が悪いことにする。一年目・二年目は、言葉を話すからいけない。三年目に私が黙り込んだら、何も言わないからいけない。四年目、私が言葉を最小限しか離さないでいたら、Z氏は
「○○さんは人を挑発する雰囲気がある」
と言った。言葉を封じられたら表情やしぐさ以外に使える武器はないのだが、それが悪いというのである。つまり、私は難癖をつけられていたのである。

このまま永久にZ研究室に足を踏み入れないというわけにはゆかなかった。借りたものは返さなくてはならない。そこで数日前、私はZ研究室にゴミPCを持って行った。
入口の行き先表示表のマグネットなど、私がZ研究室に所属していることを示すものは、既に捨てられてしまっていた。Z氏がいかに私を追い出したがっていたか、非常によく分かった。このような場合、形式的に送別会を企画して招待するくらいのことは通常はするものだと思うけれども(私の方は招待されても丁寧にお断りするしかないのであるが)、Z研究室は「通常」「常識」が通じる世界ではない。
研究室には、B4のSがいた。Sは研究室のメンバーほぼ全員が私を攻撃しているとき、参加はしなかった。ただ、指導教員以下全員が個人攻撃でまとまっているという状況で、それを止めるまでの力はない。
Sは、身体の不自由な私に
「何か手伝うことはありませんか」
と声をかけた。それは自然で、悪意もなにもない調子だった。私は
「ありがとう、特に何もないから」
と言って断った。本当に、Sに頼まなくてはならないことはなにもなかったからである。私はゴミPCをSに渡して、持てるだけの私物を持ってZ研究室を出た。

私は2010年4月はじめ、私に対する総攻撃となった打ち合わせのあと、初対面に近かったB4のTに
「あれ」「それ」「これ」「そいつ」
などと声高く罵られた。そのTをM1のK(私を「休学中のくせに」と罵ったKと同一人物)が
「一応先輩なんだからさあああ、そこまで言うなよおおお」
と、私をバカにする調子でたしなめるふりをした。
そこにSもいた。
私はそのときに、Sに普通に扱われたかった。
追い出されて出ていくことがはっきりした今になって、普通に人間らしく扱われても、惨めさと屈辱感がさらに強く感じられるだけだった。

私はその後数日、Z研究室での3年間を思い出して大荒れし、ひどいうつ状態に陥った。
私を痛めつけ陥れた彼ら全員の人生を破滅させ、その後で自分も自殺しなくてはならないと考えた。
そのためのプランを周到に練った。実行可能で、確実に効果が見込めるプランだった。
具体的にプランを検討するうちに、今日明日や今月来月に実行する必要はないことが分かった。

私は自分の仕事や研究に戻れるかもしれないと思った。

「疲れたよ」

今年の3月。
指導教員Z氏が、私の横を通りすがりに、私にだけ聞こえる声で「疲れたよ」と言った。研究室メンバーの全員が集まって引継ぎなどを行う機会に、その終わり際か別れ際のことだったと思う。
大学院の指導教員が受け持ちの学生や院生に「疲れたよ」と言う場合、本当に疲労しているので「疲れたよ」と言っているのかもしれない。「お前を追い出すから覚悟しておけ」と言っているのかもしれない。「疲れたよ」だけでは、日常会話なのか死刑宣告なのかは判断できない。
私は「疲れたよ」に反応しなかった。真意が分からず、どのように反応するのが正解なのかが分からなかったからである。自分自身は「ああこれは死刑宣告だな」と思っていたのだが、「ただの日常会話であった」という可能性に賭けたかった、ということもあった。

4月以後のZ氏と研究室メンバーの行動は、「ただの日常会話」の可能性を完璧に打ち砕いた。私は、Z氏が悪意や敵意を持っていたという前提に立って、研究室配属以後のすべてを振り返ってみた。すっきりした。Z氏の言動に、私から見て意味不明な点がなくなったからだ。

ゴミに挨拶されて逃げる男たち

大学でのイベントでX様に出会ったときのこと。
http://d.hatena.ne.jp/before49/20100813/1281690499

X様は私に気づいて、目を丸くして少し怯えたような表情をした。私は大きな声で「こんにちは」と挨拶した。X様は「あ、お、う」などと言いながら去っていった。

休憩時間に会場の外に出た。指導教員Z氏とX様がやってきた。私は「ご無沙汰しています」と頭を下げた。相手は怯えたような表情を浮かべて硬直していた。追い出して消滅させて粗大ゴミとして捨てたはずのモノが人間として出現したら、それは怯えるだろう。そんな感じだった。

そこに、私を20代から知るA氏がやってきた。
「おひさしぶり! 元気?」
「おひさしぶりです! 元気ですよ!」
と尋常に挨拶した。私は自分がまともな人間であるような気がした。

アリバイを作ろうとしているんですね、わかります

大学で、専門に関するイベントが開催された。私も顔を出した。
会場にはX様がいた。ごく普通の、さわやかな若者として振舞っていた。研究室で私の知るX様からは信じられないほどの好青年ぶりだった。
その近くには、指導教員のZ氏がいた。Z氏の後ろには20代の女子学生がいた。修士の院生くらいだろうか。私の知らない人だった。休憩時間、Z氏は女子学生ににこやかに話しかけて談笑していた。私がZ氏にそういう表情を向けられた最後はいつだっただろうか。もう3年くらい前のことではないかと思う。Z氏はその女子学生を研究室に受け入れようとしているのかもしれない。

その集団に初めてのマイノリティを受け入れた際、たいていはうまくゆかない。その集団が「マイノリティを受け入れる」にあたって、たいていは知識も経験も全く足りないからだ。たいてい、消耗して疲れ果てたマイノリティが去ることになる。そんなことになる前に相談? 無理だ。どこの誰にどんなふうに相談すればいいというのだ。大学のカウンセラーはたいてい、マイノリティ特有の事情を理解できない。その専攻・その研究室特有の事情も分からない。どれだけ話をしても、口調や言い方を考えても、ぜんぜんといってよいほど伝わらない。マジョリティに対しては有効なアドバイスは、マイノリティに求められた瞬間に暴力となる。「アサーション」? 周囲が暴力・無視といった対応に出ているときに「アサーション」など何の意味もない。「一般的には」有効な方法? その「一般的には」がマイノリティを押しつぶす。

私が研究室を去るにあたって、Z氏は完璧に「自分に問題はなく彼女に問題がある」と主張する準備をしていると思われる。その準備は、今から思い起こせば、二年前には始まっていた。2008年の5月ごろ、Z氏は「あなたが仕事に時間をかけすぎるからいけない」と言った。時を同じくして、私の私生活で、仕事の協力者ということで私に近づいてきた男が私への妨害をエスカレートさせはじめていた。たぶんこの二つのことがらには関係がある。私が仕事に時間をかけすぎる傾向があるのは事実だが、あまりにも妨害されすぎて疲弊してしまっていて、時間がかかってしまう。さくさく進めたり決断が早かったりすると、「必ず」といってよいほど妨害を受けて、そうなってしまう。もちろんZ氏的には、「自分が責められない」だけが重要なのであろう。

Z氏が研究室に女子学生を受け入れ、X様と一緒にしておいても女子学生がいじめられず研究が出来て業績を作れるようならば、Z氏のアリバイ工作は完璧になる。私が追い出されて彼女が生き残れるという結果そのものがZ氏の意図であり仕組んだストーリーであるとしても。
どうぞ、お好きなだけおやりください。

復讐のチャンスだったかもしれない

昨日、以前の研究室に行った。置いておいた私物を取りにいくためである。
研究室には誰もいなかった。夏休みとはいえ、平日の昼間に珍しいことだ。

研究室の電話が鳴った。出ると、別の大学(本来の所属)にいるX様だった。X様は私に
「○○さんですか? 他にだれもいませんか?」
と聞いた。私がそうだと答えると、X様は
「リモートで利用している計算マシンの一台が不調なのでリブートして欲しい」
と言った。その時、X様は「私にそんなことは分からないであろう」というニュアンスのある言い方をした。研究室のメンバーが、過去三年、何だかだと理由をつけて触らせなかったけれども、ネットワークとサーバ管理のことは私はだいたい分かる。

私は計算マシンに近寄った。ログインしてリブートしようとしたけれど、ログインできなかった。私がパスワードを間違えていたのか、私のアカウントがそもそもないのか、アカウントはあったけれども消されたのか、どれであるかは分からない。ログインせずに使用できるシステム管理メニューから、そのマシンをリブートした。1分もかからなかった。

X様は電話で、尋常に礼を言った。私は尋常に「どういたしまして」と答えた。私は非常にバカらしいことをしているのではないかと思ったけれど、これでよかったんだろうと思った。そういう無意味な意地悪をする趣味は、私にはないからだ。

研究室のメンバーの名簿が、壁に張り出されていた。そこには私の住所氏名等も入っていた。私は、その名簿が作成されたということを知らされていない。研究室のWebサイトのメンバー一覧には、私は入れられていない。

気持ちの悪さ

7月4日のエントリーに書いた「7/1に研究室でM1のお兄さんと会話した」時、なんとなく違和感を感じた。
相手は私に対して「○研究室にいた方ですか」というふうに話を向けた。なにごともないように会話をしていたのだが、相手の言葉のはしばしに、
「○研究室で私に関して周囲の学生・院生が言いそうな情報が伝わっているようだ」
と思った。相手がなにごともないかのように向けてくる会話のはしばしに、
「私は○○という傾向のある人間で、××のようにあしらっておけばよい」
という知見が感じられた。それは、以前の研究室のメンバーがいかにも言いふらしそうなことであった。相手が話題にしたメンバーは4人いた。そのうち、その研究室に現在も残っているのはX様一人である。私は、そのM1のお兄さんと会話したのは初めてであった。おそらく、相手は私に会う以前の噂話によって偏見形成を始めているのである。
放っておけば時間の問題で、相手はそのような内容に関して「まさにそれ」の証拠らしきものを集めて偏見形成を行い、私はまた同じような目に遭うんじゃないか、と怖くなった。研究室に、いかにイジメが起こりいくい雰囲気が醸成されていたとしても、起こる時には起こってしまう。起こってしまったら、ふだん「イジメが起こりにくい(起こった実績がない)」ということが、やられた側の「やられた方が悪い」の証拠らしきものに使われてしまう。その可能性を考えて恐怖でいっぱいになった。
それから、以前の研究室で自分がおかしな扱いを受けるようになったきっかけに思い当たった。それは2008年の6月ごろのことだった。指導教員(当時)は、
「仕事に時間をかけすぎるからいけない」
と言ったのだった。それ以前、私はむしろ丁重に扱われていたし、おかしな扱いを受けてはいなかった。研究が遅れていることについて
「仕事に時間をかけすぎるからいけない」
と言われたのであったら、それは私には大いに納得のゆくことであった。私は、言外の可能性に関しては考えないことにして、言葉に言葉どおりに反応することにした。その中には
「(大学とはあまり関係のない)政治的な状況の変化があって、自分はあなたを攻撃しなくてはならなくなった、その口実になりうる研究の遅れを発生させたあなたが悪い」
もあった。それは大いに思い当たるものであったが、その可能性について
「先生の真意は……でしょうか?」
と聞き返すわけにはゆかなかった。時間が経過して、そのような出来事が積み上がってゆき、私は
「どうも、私が最も考えたくない可能性が事実であったらしい」
と認識せざるを得なくなった。そう認識したら、私が感じていた気持ち悪さは消えた。指導教員(当時)の真意を測りかねる言動の数々に説明がついたからである。4月に私が研究室に総攻撃されるようになった以後に、私が「指導教員(当時)は悪意ではない」と考え続けていたら、それは私が愚か者だということである。


恐怖を実感したのは、その翌々日あたりからである。あまりにも恐ろしくて、研究が続けられるとは思えなくなってきた。
相手の応答に関して
「この大学では、こういう場合にこう応答することがお約束になっていて」
という可能性は考えたのだけど、
「それにしても何だか不気味だ」
と感じることが多かった。
こういう時、私は何を言っても(言わなくても)、しても(しなくても)、たぶん追い詰められる成り行きになる。相手(たち)は永遠に
「自分は敵意を持っているわけではない」
「あなたが悪い」
と主張するだろう。誰が悪いかといったら、
「そういう相手のいる場所に入り込む自分が悪い」
としか言いようがない。
接触したら、どういう接触のしかたをしても
「だから悪い」
ということになるし、接触しなかったら
接触しないから悪い」
ということになる。どうすればいいのか分からない。