発狂練習

いち大学院生の嘆きの壁

土産物

一作日、研究室と全く関係のない学生・院生の集まりに顔を出した。障害のある学生だけが集まって状況報告を行う会があるのだ。

そこには、高校生の時から知っている大学三年生の女の子がいた。来年の職業実習、就職しての社会生活、といったものに不安があるようなので、話を聞き、出せる知恵は出した。ちょっと地方に行ってきて、よくある土産菓子を買ってきたのだが、あげる相手がなかった。それを貰ってもらった。ごくふつうに、その土産菓子をめぐって会話が続き、感謝された。私は、自分はまともな人間であるのかもしれないと思った。

昨年あたりからの研究室では、私が何か土産物を置いて「買ってきたのでどうぞ」と言っても「あー」というような返事が返ってくるだけだった。配ったら、バイキンがついているかのような手つきと顔つきで受け取られた。
「買ってきたのでどうぞ」「配る」あたりは、他の研究室のメンバーも行っているので、私が特に研究のジャマをしているということはないと思う。そしてそれらには「あ、どうも」「ありがとう」「どこに行ってきた?」「おいしいね」と普通の会話がつづく。私が受け取ってもそうであった。

指導教員には、私は顔つきや話し方をしばしば問題にされた。「だから反感を買うのだ」「トラブルの原因は何もかもあなたにある」というふうに。私は研究を奪われたくなかったから、反感を買わない顔つきや話し方とはどのようなものであろうかと研究した。鏡を見て、指導教員の前にいるときに反感を買わなさそうな表情を研究した。どのような話し方をすれば反感を買わないのかを考えて練習してみた。そのうちに、ごく一部の信頼できる相手(かかりつけの精神科医とか、長いつきあいの飲食店のお姉さんとか、仕事で長いつきあいの相手だとか)、話し方が悪いといわれる可能性を心配しなくてよい場面(コンビニのレジ、駅の有人改札などを)を除いて、私は表情を動かすことも口から声を出すことも恐ろしくなってしまった。今は、自宅でもほとんど会話をしていない。詳しくは言えないが、家での会話・電話での会話がどうも指導教員に漏れているようだ。これは1997年に当時の勤務先の上司に「会社を転覆しようとしている」という噂を流されて以後、ずっと続いている。官公庁を主要な顧客としている企業なので、警察・公安を動かして一社員を監視対象にするなど簡単なことであろう。2000年の退職後も続いている。現在の指導教員は、当時の私の上司と親しいので、その情報を得ている可能性は高い。私は家の中で会話をしない。電話も必要最小限にしか使わない。話さなければ、何をどんなふうに話したかが問題にされることはなくなる。口から声を出さなければ、家の中の物音を傍受されても大丈夫だ。

4月ごろ、私は会う人会う人に「私の口の聞き方はおかしいか」と聞いて回った。誰も「おかしい」と言わなかった。私がおかしいのではなくて、指導教員がおかしいのかもしれないと気づいたのは、それからだった。